鎮静と健忘と除痛
静脈内鎮静法は、歯科に限らず胃、大腸内視鏡や、医科の小手術でも非常に頻繁に行われている方法です。ただし、鎮静のコントロールがほどほどに適正でないと、患者様がこちらの指示に従えなかったり、呼吸が浅くなったりすることが時々あります。本来の治療、検査に集中できません。そのために、鎮静は行わないほうがよいという医師の方も少なからず存在します。今回は、鎮静時によく起こる問題を取り上げてみたいと思います。
基本「苦痛」のコントロールは歯科では、とても重要です。苦痛は大きく「からだの痛み」と「こころの痛み」に分けられます。体の痛みは、局所麻酔(今後、局麻と省略)薬で処置、手術中は、抑えることができますし、さほど出ない痛みに関しては内服する鎮痛剤でかなり抑えることができます。特発性(原因が分からないということ)の痛み以外は結構シンプルなやり方で対処することができます。ただ、何か原因があっての痛みのことが多いので、そのためには適切に診断されて治療を受けることが必要です。
こころの痛みは、「恐怖」「不安」「極度の緊張」「気にしすぎ」など精神的なストレスが体に影響を及ぼしてしまうものをいいます。歯科治療中はこれらを感じない人はほとんどいないと思いますが、麻酔で除痛が完全に行われていれば、大半の患者様は無事治療を終えることができます。痛みを感じない治療の記憶は、治療に対する精神的なストレスを優位に減らしますので、痛みを感じそうな処置の場合は、あえて局麻を行っておいたほうが後々は問題が出ません。ただし、局麻自体のトラブルは実は少なくなく、件数自体は全身麻酔の7倍程度との報告もあります。大半は、局麻自体が痛かったりして、迷走神経反射を刺激してしまい俗に言う「脳貧血」(神経性ショック)をおこしてしまったり、局麻に含まれる薬剤に対して過敏症を起こしてしまったりすることが多いようですので局麻前に以前の麻酔したときの状況確認や持病や処方薬の聞き取り、血圧など全身状態の診査は本当はとても大切だと思います。大半の患者様は、問題ないと思いますが、甘く考えすぎると手痛いしっぺ返しを食らうことがあります。またそういったことを、ルーチンで行う習慣をつけておかないと、やること自体にスタッフが不慣れになり、的確でかつ手際よくできなくなってしまいます。
鎮静の話とずれてきてしまいましたが、本題に戻りたいと思います。
鎮静時に問題になりそうなことは、以下のことがあります。
①点滴を採ること自体が痛い、怖い。
通常点滴は前腕屈側(ひじの内側)の皮静脈または手背の静脈からとりますが、前腕屈側は痛みが少なく、手背は痛みが強い傾向があります。そのため、事前に点滴を採ることが分かっていれば、「ペンレス」をいうシート状の表面麻酔薬を30分程度貼っておくとほとんど手背でも痛みを感じることがありません。また、不思議なことに歯の治療はまったく無理という方でも、大半の方は静脈穿刺は大丈夫という方がほとんどです。前腕屈側は、ひじの曲げ伸ばしのにより長時間の針の留置には向かない場所ですが、テフロン製の留置針を使い、大きめのバスタオルををシーネ(あて板)代わりに使うと2時間程度は特に問題ありません。当院では、前腕屈側でも手背でも特に問題はありません。
②鎮静しすぎるとろくなことがない。
これはよくある誤解なのですが、鎮静中は寝てると思っている方が多いのですが、基本寝ていません。適度の鎮静の場合は、私が「お口をあいてください。」といえば開口して頂けますし「横を向いてください。」といえば大体横を向いてもらえます。それが、おそらく至適鎮静度です。ただ、鎮静後患者様がそれを覚えていないだけです。深く鎮静してしまえば確かに寝てしまいますがそこまで鎮静してしまうと治療が難しくなります。また、急速に鎮静が深くなると、舌根沈下が起こり酸素の取り込みが悪くなったり、体動が激しくなったりすることが多いため、患者さんを楽にさせようと鎮静を深くしすぎるとろくなことがありません。また、鎮静薬は、滴定投与といって、だいたい1分間にドルミカム換算で1mg/分ずつ利きを見ながら投与していきます。大体、トータル0.05mg-0.075mg/kgを目安にしていきますがこの範囲がとてもよい具合に効きます。浅そうに見えても、術後ほとんど患者様は健忘していて覚えていません。滴定投与投与のときでも、酸素の取り込みはやはり大半の方は悪くなるので、モニタリングは当たり前ですが、当院では投与前に酸素吸入をはじめからしてしまいます。そしてSPO2(動脈内飽和酸素濃度、血液中の酸素の取り込む具合をしめす数字です。)100になったら、ドルミカムを入れ始めます。
③鎮静、除痛ができても治療がきちんとできていない。(逆もあります。)
個人差があるので必ずではありませんが、麻酔、外科を主たる仕事にしている歯科医師の中には歯科治療にたずさわる時間が極端に少ないため「いわゆる歯の治療」に不慣れ方が歯科医師がいます。逆に、歯科開業医は麻酔に関して逆の意味で同じことが言えます。、全身管理のプロと歯科治療のプロがペアで治療すれがよいのでしょうが、私たちではどうにもできない診療報酬の問題などがありなかなか理想的な形で行うことが難しいです。
③患者様が車で来院したり、絶食絶飲してこない。
歯科では、治療の都度鎮静しますので、患者さんが鎮静治療になれてきてしまい飲酒運転と同じで「大丈夫」だと思ったり、鎮静に対する敷居が低くなりすぎ「おなかがすいたので、ちょっと食べてしまった。」などまれにあります。やはり、誤嚥や嘔吐の問題、交通事故の問題などがありますので、そういう時は「患者さんのため」と心を鬼にして治療をキャンセルして頂いたり、平衡感覚が完全に回復するまで帰宅を許可しません。当院は、交通の便が悪いので、ご迷惑をおかけしていることは申し訳ないと思います。なお、フルマゼニル(ドルミカムの拮抗剤)を使うと覚醒は速やかに起こりますが、実は平衡感覚の回復は2時間程度かかるといわれています。
④静脈穿刺のときにおこる不快事項。
前腕の尺側(小指側)は、穿刺する静脈のすぐ内、外、下側に皮神経が走っています。ここを針で傷つけるとシビレや強い痛みが出ます。比較的安全なとう側(親指側)か手背からとるようにします。静脈穿刺のときは、痛みが出るので分かりやすいですが、歯科の局麻の際にも同じことが舌神経や、下歯槽神経で起こります。ただ、局麻のときは、麻酔が効いているため神経損傷にその時点で気づかないことがほとんどです。ほとんどは、時間とともに問題なくなりますが、長期関与後不良のこともあります。患者様がそのようなことを訴えた場合は、速やかに針を抜き、所定の対応をしていきます。
⑤薬剤に対する過敏症、処方されている薬との相互作用、偶発症
これは、問診をしっかりして、持病、処方薬、既往歴をしっかり調べていくしかない気がします。いままで、歯科で麻酔や、薬で異常がなかったか?治療自体に対してはどう感じたか?などがの聴き取りがとても役に立ちます。当然、未治療の病気にかかっていることも可能性のあるので、検診などを半年以内に受けていない方などは、術前に血圧、モニター心電図、血液検査などは行っておいたほうが無難でしょう。鎮静だけでなく、治療に対する患者様の反応(易感染性、血液凝固異常などたくさんのことがわかります。)もおおよそ予測できるので理詰めの治療、処方がある程度可能です。歯科で、心電図や血液検査をされると意外と思われる方もいますが、当院のように有病者の方が多い施設ではやらないほうが不自然で怖いです。最近特に思いますが、医療の進歩のおかげで、見かけ上健康そうに見えてもさまざまな病気や、いろいろな薬を飲んでいる方ばかりです。高齢の方も多く、当院での最高齢の抜歯は、104歳です。90歳台の患者さんも珍しくありません。(訪問ではなく、一般の外来で)70歳代で、心疾患があり、抗凝固剤服用で、あごの骨に埋まっている親知らずを抜歯するなど当たり前のようになってしまいました。そのうち、80歳代でそのようなことが当たり前になるかもしれません。これからの時代、歯科も検査なしのいわゆる丸腰で、外来での小手術レベルでもやらないのが当たり前になると思います。
また、偶発症としては、①神経性ショック②局麻剤中毒③アドレナリン過敏症④アナフィラキシーショック⑤アスピリンぜんそくなどなど色々ありますが、ここでは具体例にふれません。
⑥静脈内鎮静法をおこなっている歯科医院が少ない。
静脈内鎮静の保険診療報酬が低く全身管理を行うスタッフの時給さえも払えないことは歯科医院にとっては大きなネックだと思います。また、日常の診療で静脈路の確保をほとんどしない開業歯科医が、きちんとトレーニングを積む場がないのも問題です。高額なインプラントのオペなどのときにだけ麻酔医を呼んで自費で鎮静をするという状況ができるのでしょう。
原田歯科が静脈内鎮静法による歯科治療を行っている理由は
1)恐怖症の患者様は、歯科医院で行われるごく簡単な処置、手術でも恐怖や不安で治療を受けられません。そのため、口腔内の崩壊がすすみ、結果としてこれらの患者様が治療を受けるときは病院口腔外科へ紹介されますが、口腔外科ではいわゆる歯科治療はしませんので、大半は静脈内鎮静もしくは全身麻酔下で抜歯ということになります。それであれば、地域の歯科医院で静脈内鎮静下で早い時期に簡単な歯科治療が受けられれば、重症化を防げます。しかし現状では、保険診療で静脈内鎮静を行う歯科開業医はとても少なく、歯科治療は頻回の通院が必要なため自費では患者様の経済的な負担が大きすぎる気がします。
2)静脈内鎮静は、歯科恐怖症だけでなく有病者の管理にも当たり前に行われるべき手法です。高血圧症、心疾患などでは過度のストレスは、内因性のカテコールアミンの分泌を促進し、治療中の不快事項の発生につながります。
⑦静脈内鎮静に頼りすぎ、治療時の患者さんに対する思いやり、気遣いが少なくなる。
これは、反省の念をこめた言葉です。私もいままでいろいろとお医者さんにかかりましたが、対応がやさしく、きちんと説明してくれる医師の方はやはり安心できます。やはり、医療行為を仕事にしているとだんだん慣れが生じて人相手の仕事ではないようになってしまうことがあるように思えます。特に静脈内鎮静時、全身麻酔時の治療はその傾向があります。いい意味でも、悪い意味でも患者様の顔色を伺いながら治療していく謙虚な姿勢はとても大切だと思います。自分がその病気になれば患者さんの気持ちが良く分かると思いますが、なかなかそうもいきません。学力、知識は勉強すればある程度向上するものですが、生まれ持った性格や性(さが)は年齢とともに丸くなりますが、ひょいとしたときに角を出してきます。これはなかなか変えられそうにありません。