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おばあさん想いの少年の行為は、正しかったか?
以前、新聞の投書欄で読んだある少年の投書です。「最近、おばあさんの足が悪くなり、毎朝日課にしていた新聞受けまで新聞を取るのがつらそうなので、代わりに自分が新聞をとるようにしました。今後も、おばあさんが長生きできるようお手伝いをしていきたいです。」などといった内容でした。
新聞の編集者がどういう意図で取り上げたのか良く分かりませんでした。確かに、少年のおばあさん想いの気持ちは私たちをほっとさせます。その気持ちの大切さを取り上げたのだろうと思いました。
ただ逆に、もしその新聞を取りに行く行為が、そのおばあさんの足に対する唯一のリハビリの役割をしてしていたとしたら、また1日の始まりとしての気持ちの切り替えの動機付けとなっていたとしたら、と思うとその少年の行為自体が、よりおばあさんを歩けなくし、朝の覚醒を妨げてしまうかもしれません。おばあさんに良かれと思い行った行為が、おばあさんの持つ身体的、精神的な機能を低下させてしまうかもしれません。
いわゆる「余計なお世話」です。こういったことは、この少年に限らず私たちにも思い当たる節がいっぱいあります。たとえば、「子どものために、子どものために」と思ってやったことが、結局は子どもの自立や「なんとかしてやっていく」能力をなくしてしまったり、親を楽させようと同居したりすることで、いままですんでいた地域とのつながりを断ち切ってしまったなどと、身につまされる話です。
恵まれた環境で育った子どもと、家が貧乏だったり、虐げられた集落の出身だったりする子どものもともとの資質が同じであるとすれば、きっと後者の子どものほうが、生きる力ははるかに上でしょう。目の前に、障害がありそれを乗り越えるためには、いろいろ頭を使ったり、もしかしたら他人の力を借りなければならないかもしれません。フルに自分の能力を使わないとだめな状況に常に対面しているわけです。失敗や障害は、自分を高めるチャンスかもしれません。
ここまで話すと、口腔ケアにおける「食べる力」を落とさないためには「食べやすくすること」ことではないことが分かります。「何とか食べられる」状態を作っていくことです。食事自体が、1日3回もある「食べるトレーニング」実践の場なのです。日本人は、「うまくて、軟らかいもの」を求めすぎています。「噛めばかむほど味が出る」は死語になりつつあります。この言葉を、生き返らせたいと思うこのごろです。